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- 2022-07-22 发布
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2017届中考数学基础知识复习课件53\n\n\n\n\n\n\n\n第6編 日本語の文法\n四大文法いわゆる四大文法と呼ばれる、山田文法、松下文法、橋本文法、時枝文法の4つが、現代日本語文法において重要な位置を占めてきた。四大文法のうち松下文法を除くものは、国学の流れの中での日本語研究を受け継いでいるが、統語論と意味論の区別は明確でなく、助詞や助動詞の用法についての研究が大部分を占める。これに対し、松下文法は独自の視点から言語一般の理論を志向している。時枝文法は渡辺実、北原保雄、鈴木重幸によって根本的な批判・修正を受けつつも継承されている。\n山田文法山田文法は、山田孝雄(1875-1958)による日本語の文法である。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。語:観念語(独立の観念を表す)、関係語(関係を表す)観念語:自用語(単独で文を形成する骨子となる)、副用語(単独で文を形成する骨子とならない)自用語:概念語(概念を表し、語形が変化しない)、陳述語(陳述力を持ち、語形が変化する)また、山田の理論においては、用言と助動詞の複合体は切り離されず、助動詞は複雑な語尾として「複語尾」と呼ばれた。これについては、「分類があまりにも大雑把過ぎた」という金水敏などの評言がある。さらに、接続詞を「接続副詞」、感動詞を「感動副詞」と名付け、独立した品詞ではなく副詞の一種とした。そして、前者を「語と語の中間に入り、これを結合するもの」と「文の最初にあり、前の文を受けて後ろの文を起こす働きをするもの」に分け、後者を「感情(「驚き」や「嘆き」など)を表すもの」と「意志の動き(「勧誘」や「呼び掛け」など)を表すもの」に分けた。\n句山田は、統覚作用が一回のものが単一の思想を表すものとして「句」と呼んだ。この句には次の二種がある。句:喚体句(未分化)、述体句(分析的で、主述の構成)そして、単一の句からなる文を「単文」とし、複数の句からなる文を「複文」とした。後者は次の三つに分かれる。複文合文対等の価値を持つ二つ以上の句が合同し、成立した文(例)秋になり、葉っぱが色づく重文二つ以上の句が並列的に結合した文(例)太陽は燃え尽き、月は砕け散る有属文付属句を持つ文(例)象は鼻が長いなお、付属句とは、主格・述格・修飾格のいずれかの中に、主述の関係を含む文が独立性を失い、他の文の中で一つの語のように働くものをいう。\n文山田は、文の成立について、「陳述」という用語を用いた。山田は「文を終止させる用言は陳述を持つ」とした。この陳述は係り結びの現象と深い関係にあり、「結び」とはすなわち陳述であり、「係り」とは陳述との呼応関係であるとした。連体修飾の用言は陳述を担わないため、係りはそれを超えて文末に影響する。例えば鳥が飛ぶ時では「鳥が」は係助詞を持たないため、連体修飾句の中に影響がとどまるが、鳥は飛ぶ時では「鳥は」が係助詞「は」を持つため、連体修飾句を越えて文末の陳述に影響する。\n文の成分について、助詞以外の語が、文を組み立てる成分として用いられる時に起こる相互の関係を「格」と呼んだ。山田によると、「格」はすべて観念語の間にあるもので、関係語である助詞は、それ自身で一つの「格」に立つことが無いという。これには次の種類がある。呼格: 文や句の中にある他の語と、少しも形式上の関係なく立つ格。主格:賓位の観念に対立する格。修飾格:用言に対する格。述格:用言が陳述をなすに用いられる時の格。賓格:いわゆる述語格に当たる格。捕格:用言だけで十二分に意義を表せない時、それを補充する格。連体格:体言に対する格。\n松下文法松下文法は、松下大三郎(1878-1935)による日本語の文法である。品詞の分類単語概念詞外延のある概念を表す名詞内包だけの概念を表す動詞作用を叙述する動詞叙述性が無い他詞の意義を調整する副体詞他詞の運用を調整する副詞主観詞感動詞\n文の構成要素断句:文に相当詞: 文を直接構成する要素原辞:形態素に相当「詞」と「原辞」には、統語論の要素と形態論の要素というレベルの区別が担わされている。例えば、名詞「桜を」「桜」はともに詞であり、「桜」はまた原辞でもある。これは形態論における自由形式が統語論における語にもなることを考えると理解しやすいだろう。一方「を」は原辞であって、これ単独では詞になりえない(束縛形式にあたる)。詞である「桜」のような名詞とともにさらに大きな詞を構成して断句の要素となる。詞は断句を構成する要素であるが、詞が集まれば必ず断句となるわけではないことは経験上知られていることであろう。では松下の理論では断句を成立させる要件はどのようなものであろうか。詞の間に緊密な関係を持ち、そしてそのような複合体が他のものに従属していない場合、断句となり得る。しかしこれだけではなり得るだけで断句とはいえない。断句となる為には、要件を備えている複合体が「統覚」という統一性を帯びて断句となる。\n構造概念構造概念は次のように洗練された:補充修飾現代的に見れば広く受け入れられている区別であるが、それまでは「連用」「連体」という概念のもとでいっしょくたにされていた。また、松下は主題を持つ文と持たない文の違いについても注目し、次のような区別を立てた:題目態平説態前者は三上章の「題述文」やアントン・マルティ-黒田成幸のcategoricaljudgmentに相当し、後者は三上の「無題文」、マルティ-黒田のtheticjudgmentに相当する。主題優勢言語としての日本語の特質を研究課題として捉えた点は先駆的と言えよう。また、複主語構文における「大主語」についても考察している。\n橋本文法橋本文法は、橋本進吉(1882-1945)による日本語の文法である。学校文法のベースとして、戦後国語教育への影響が大きい。\n品詞の分類詞(自立語)活用するもの-単独で述語となるもの-用言命令形あるもの-動詞命令形なきもの-形容詞形容動詞活用せぬもの主語となるもの-体言名詞代名詞数詞主語とならぬもの修飾接続するもの-副用言修飾するもの用言を修飾するもの-副詞体言を修飾するもの-副体詞(連体詞)接続するもの-接続詞修飾接続せぬもの-感動詞\n辞(付属語)活用あるもの-助動詞動詞にのみ付く 種々の語に付く活用なきもの-(助詞)断続の意味なきもの連用語にも付く-副助詞連用語には付かない-準体助詞続くもの接続するもの用言にのみ付く-接続助詞種々の語に付く-並立助詞接続以外で続くもの体言に続く-準副体助詞用言に続く体言にのみ付く-格助詞種々の語に付く-係助詞切れるもの文を終止する-終助詞文節の終りに来る-間投助詞\n文・語・文節まず、文を句切りながら発音して、実際の言語としてはそれ以上に句切ることはない個々の部分を「文節」とする。学校文法における指導などでは「ね」「さ」「よ」などを挟むことができる所で切る、と説明されている。そして、文節は一定の意味を持ち、発音にもいくつかの規則性が見られる、とした。次に文節を更に意味を有する言語単位に分解することで「語」を認める、とした。たとえば文節「山に」は「山」「に」のような語に分解される。ここで「山」のように独立し得る語を「詞」(自立語)、「に」のように常に詞に付くことで文節となる語を「辞」(付属語)とした。さらに語について、「酒樽」(「酒」+「樽」)「本箱」(「本」+「箱」)のような「複合語」を取り上げ、分解することはできるが、一語となっていてそれぞれは部分を成すに過ぎない、とした。(こういった複合語は自然言語処理、特にかな漢字変換の辞書などで重要で、文法では「情報処理学会全国大会」のような語は1語だが、組合せがあるだけ辞書に登録するのは無理なので、適当に分割して辞書を引いて変換する必要がある)辞については、助詞と助動詞のような「独立せぬ語」(「独立し得ぬ語」)の他、「お山」の「お」のような「接辞」もあるとしたが、接辞と「独立せぬ語」の区別は、根本的なものでなく、程度の差に過ぎない、としている(このような接辞は、品詞分類にはあらわれていない)。\n時枝文法時枝文法は、時枝誠記(1900-1967)による日本語の文法である。\n品詞の分類単語詞体言用言動詞形容詞代名詞名詞的代名詞連体詞的代名詞副詞的代名詞連体詞副詞辞接続詞感動詞陳述副詞助動詞助詞\nソシュールによる(と時枝に規定された)「言語構成観」に対立する「言語過程観」に立脚する理論であるため言語過程説とも呼ばれる。「言語構成観」とは、例えば文という統一体はその部分を集めただけのものとする言語観である。これに対し時枝の「言語過程観」はこのような考えを否定し、「文」という統一体はその構成要素である語を単に集めたものとは質的に異なるものである、とする。ここで語の寄せ集めとは質的に異なる「文」という統一体を成立させる契機となるのが主体による陳述である。\nソシュール言語学における言語過程を循行の過程だと難じつつ時枝が主張する「言語過程」とは、発話主体が、表現の素材となる客体世界の断片を、言語表現へと転換する主体的過程を指す。例えば「山」「桜」という単純語は素材となる客体世界から一回の過程で得られるものであるために単純語であるが、「山桜(やまざくら)」はそのようにして得られた単純語にさらにもう一回の過程を経て語としての統一体にしている、すなわち二回の過程で語としてる複合語である。また別の側面では、空気の振動やインクのしみという物理的なものを、それとは無関係な客体世界の断片に結びつける。「陳述」とは言語過程の中の、特に文成立の契機となる過程である。\n詞と辞言語過程説による構文論では、文の構成要素を陳述の有無によって「詞」と「辞」に二分した。「詞」は文の素材となるもので、陳述を含まない。これに対して「辞」は素材的なものを含まない純粋に陳述だけを含むものである。この点で辞は純粋な主体的作用の反映であり、形容動詞の否定や敬語の二大別などは、すべてこの「詞」と「辞」の別に基礎を置く。\n文の構造としては、詞を辞がくるんでいる、ちょうど引き出し(取っ手が「辞」)のような構造が基本であり、さらにそれがより大きな構造に埋め込まれる、という階層構造を仮定した。これを「入れ子構造」と呼び、日本語の文の基本的な型式としている。橋本文法における、文節を基本としたリニアな構造に対して、入れ子構造の階層構造は文の分析の妥当性において大きな優位性がある。例えば「桜の花が」という構造は橋本文法では[桜の][花が]と分析され、文節間の関係については別に様々なものを規定しなければならなかった。これに対し時枝文法の入れ子構造(引き出しの取ってのように書き表されていた辞を、タイプの便宜上「>」で代理させる)では[[桜]の>花]が>として、特別な関係の規定なしに構造表示できる。入れ子構造は現代言語学で用いられる括弧付けとほぼ等価なものであるが、これは主体による言語過程が再帰的に働くという言語過程説の帰結である。\n伝統的な分類で助詞、助動詞とされていたものは「辞」に属し、名詞、動詞、形容詞は「詞」に属する。ただし受動、使役の助動詞は「詞」に属し、否定の助動詞には「詞」に属するものと「辞」に属するものがある。このような構文論への理論適用においては、原則として品詞はすべて詞か辞に属し、また陳述はすべて何らかの品詞に対応するのが理想的であるが、そのようにはなっていない。副詞は詞と辞が合わさったものと考えられ、詞である動詞で文が終わっている構造については形態をもたない「零」の辞が仮定された。\n学校文法学校文法とは現代日本の学校教育において、国語教育の際に準拠している文法のことである。教科(書)文法、文部省文法などとも呼ばれる。普通は現代日本語の文法を指すが、古典(文語体)の文法も含む。教養教育(職業訓練でない学校教育)での外国語の文法についていうこともある。\n学校文法は橋本文法をベースとしている。橋本文法と同様に、文を可能な限り句切ったものとして文節を定め(さらに細かい単位に「語」があるが、詳細はここでは略す)、品詞を名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・感動詞・接続詞・助詞・助動詞の10種(または名詞を名詞と代名詞に分けて11種)に分類する。しかし、学校文法について詳細までを議論した大系といったようなものはなく、原典(注:学校文法の、であって橋本文法の、ではない)と言える『中等文法』を基とし、学習指導要領をはじめとする告示や検定教科書他各種教科書・参考書・学習用辞書に書かれている内容(実際のところ揺れがある)の総体が「学校文法」というものである、としか言えず、例えば常用漢字や現代仮名遣いのように明確に定義されているものではない。\n動詞活用表(学校文法)\n\n格(統語論)格(case)とは、典型的には、名詞に付与されて、その名詞を含む句が持つ意味的・統語的な関係を示す標識の体系で、名詞の語形を決める文法範疇・素性の一つである。換言すると、典型的な格とは、名詞の形を変えることによって、主語・目的語といった統語的関係や、行為の行なわれる場所・物体の所有者といった意味的関係をその名詞を含む句が持っていることを表すマークである。格文法\n典型的な格名詞の語形変化による格標示の例homo「人」の格変化(ラテン語)主格homo属格homin-is与格homin-i対格homin-em奪格homin-eadam「人」の格変化(トルコ語)主格adam属格adam-ın与格adam-a対格adam-ı奪格adam-dan処格adam-da\n典型的でない格後置詞による格標示の例(日本語)太郎が 花子に 本を あげたNOMDATACC\n格は、主語や目的語といった文法関係と混同されることもあるが、格と文法関係とは必ずしも対応しない。同様に、情報構造(話題など)や意味役割(動作者など)とも異なる。例:太郎が次郎を殴った。太郎が:主格、主語、動作者次郎を:対格、目的語、被動者次郎が太郎に殴られた。次郎が:主格、主語、被動者太郎に:与格、補語、動作者太郎には弟がいる。太郎には:与格、主語、所有者、主題弟が:主格、目的語、所有物\n表層格(形式格)ガ格(主格) ヲ格(対格) ニ格(与格」 ヘ格 デ格 カラ格 マデ格 ト格 ヨリ格 ゼロ格(例:昨日)※格の脱落深層格(意味格)動作主、対象、場所、など动作主体、对象(动作影响的承受者)、对方(动作面向的人)、体验者、经过地、场所、出处、目标、工具\n補語(必須補語、副次補語)昨日、公園で 太郎が 男の子を殴っていたよ。\n主題・テーマ 「は」この手紙はだれが書いたの?カキ料理は広島が本場だ。象は鼻が長い。私は学生ではない。この料理はおいしくはないけど、まずくもない。※は係助詞\n「肉は固かったけど、おいしかった」:肉(話題)もおいしかった意味にとれる「肉が固かったけど、おいしかった」:肉はおいしくなかったが、料理全体(明示されない話題)としてはおいしかった意味にとれる「肉は固かったけど、魚はおいしかった」:肉料理はおいしくなかったが、魚料理はおいしかった(対比)意味にとれる\n太郎は部屋に入ると、すぐに電気をつけた。太郎が部屋に入ると、すぐに電気をつけた。\n三上章 主語廃止論主題・解説(題述関係、有題句、無題句)私は田中です。a例の本はここにある。b例の本ならここにある。a山田さんは元気ですね。b山田さんって元気ですね。無題句(雨が降る)\n\n文構造\n太郎が花子を殴ったみたいだね。太郎が花子を殴った。みたいだね。命題 対事的モダリティ 対人的モダリティ命題モダリティ\n対事的モダリティ太郎は花子を殴る。太郎は花子を殴るだろう/まい。太郎は花子を殴るかもしれない。太郎は花子を殴るに違いない/はずだ。太郎は花子を殴るようだ/みだいだ/らしい。太郎は花子をなぐるそうだ。\n対人的モダリティご飯を食べる/食べた/食べます。ご飯を食べよう。一緒にご飯をよう/食べましょう。ご飯を食べろ/食べなさい/食べてください。ご飯を食べたい/食べたかった/食べたいです。ご飯を食べるか/食べたか/食べますか。\n命題:语态、体态、肯否极对、客气程度、时态殴るー殴られる殴るー殴っている殴るー殴ります殴るー殴らない殴るー殴ったモダリティ:対事的、対人的殴る-殴るだろう(対事的)殴るー殴れ(対人的)\nテンス(tense)、時制、時称発話の中で規定される言語学的な時間を示す文法範疇である。一般に動詞の標識として現れる。日本語では、非過去の「ル」と過去の「タ」で表される。時制と時間は異なる概念であり、区別しなければならない。時間を表現できない言語はないが、時制を持たない言語はある。例えば中国語は、「昨天」(昨日)、「明天」(明日)などの時間の副詞を持つが、時制はなく、動詞は変化しない。我昨天去学校。(私は昨日学校へ行った。)我明天去学校。(私は明日学校へ行く。)\n文から時制を除いた部分をSoA(stateofaffairs)と呼ぶ。時制は、単に出来事の時間を示すのではなく、SoAを位置づける時点を情報の受け手に指示するためのものである。例えば次の英語の文では過去形が用いられている。Johnmetawomanatthepartylastweek.HernamewasLinda.(ジョンは先週のパーティーで一人の女性と出会った。リンダという名だった。)女性の名前は現在もLindaであるが、それを先週のパーティーに位置づけているのである。\n以下の同じ意味の日本語とフランス語は、どちらも現在の状態に基づく発話であるが、過去時制が用いられている。あっ、ここにいたのか。Ah!vousétiezlà.これは、そこにいることに気付かなかった過去を振り返っているためである。時間はしばしば過去・現在・未来に三分されるが、この三者に対応する時制があるとは限らない。英語やドイツ語を含むゲルマン語派の時制は非過去と過去であり、非過去が現在と未来の両方を示す。日本語、ドラヴィダ語族、ハンガリー語[5]なども、同様に非過去と過去の区別を持つ。一方、ケチュア語を始めとする南アメリカの諸言語や、ユカギール語は非未来と未来の区別を持つ。\n時制・相・法時制は相や法とは異なる文法範疇であるが、複雑に絡み合うことがある。なお、相とは、動詞が示す出来事の全体、開始、途中、終了などを示す文法範疇であり、法とは、話者の意図や態度を示す文法範疇である。動詞の活用の中で時制・相・法が一体の体系となっていることも多い。一般に、時制が豊富なのは直説法であり、他の法では時制が少ないことがある。例えば日本語、英語など多くの言語で、命令法には時制が無い。\n時制と相が分離しているときは、相のほうが動詞に近い。以下の日本語と英語の助動詞および複合動詞による相の例において、本動詞と結びついているのは相の標識であって、時制の標識ではない。食べていた(動詞「食べる」+相「-ている」+時制「-た」)waseating(時制-ed+相be-ing+動詞eat)食べ始めた(動詞「食べる」+相「-始める」+時制「-た」)startedeating(時制-ed+相start-ing+動詞eat)\n過去日本語、英語、ドイツ語などでは、過去と非過去を区別する。過去が細かく分けられることもあり、例えばコンゴ語では今日過去、昨日過去、遠過去の3時制に分かれる[6]。過去は相との関わりが強い。例えばフランス語を含むロマンス諸語は、過去時制では完結相(perfective)と非完結相(imperfective)を区別するが、他の時制では区別しない。日本語や英語では、時制と完結・非完結は独立である。\n未来未来は、過去・現在と異なり、事実ではなく予測に過ぎない。このため、法と深い関わりがある[9]。フランス語には未来時制があり、時間を表す節の中でも使える。次の文は、主節が未来、従属節が未来完了である。JevoustéléphoneraidèsquejeserairentréauJapon.(日本に戻ったらすぐにあなたに電話します。)しかし、確定した近い未来では、未来時制ではなく現在時制を使うのが普通である。Jeparsdemain.(私は明日発ちます。)このように、未来時制は純粋に時間だけ表すのではない。英語は未来時制を持たないが[10]、未来を表現するには一般に法の助動詞willを用いる。当然、他の法の助動詞とは共起しない。このwillを用いた未来表現を未来時制と呼ぶことがあるが、正確には時制ではない。Igotoschooleveryday.(私は毎日学校へ行く。)Iwillgotoschooltomorrow.(私は明日学校へ行く。)Icangotoschooleveryday.(私は毎日学校へ行ける。)Icangotoschooltomorrow.(私は明日学校へ行ける。)また、確定的な未来ではwillを用いない。TomorrowisSunday.(明日は日曜日だ。)\n過去未来未来が現在における予測とすれば、過去における予測もある。これを過去未来と呼ぶ。フランス語で伝統的に条件法と呼ばれているものは、過去未来である。英語の助動詞wouldも過去未来に当たる。\n絶対時制と相対時制主節では時制は発話時点に基づいている。これを絶対時制と呼ぶ。これに対し、従属節や関係節では発話時点ではなく主節の時間に基づく場合があり、これを相対時制と呼ぶ。日本語では従属節は相対時制であり、発話時点とは関係がない。彼はその時、駅にいると言った。(そう言った時には彼は駅にいた。)一方、ヨーロッパ諸言語では従属節や関係節も絶対時制であり、発話時点に基づく。従って、直接引用を除くと、時制を発話時点に合わせる必要がある。これを時制の一致と呼ぶ。なお言語学で一般にいう一致とは異なる。英語:Hesaid,"Iamatthestationnow."(彼は「今駅にいる」と言った。-「いる」は現在)仏語:Iladit:«jesuismaintenantàlagare.»(〃)英語:Hesaidhewasatthestationthen.(彼はその時、駅にいると言った。-「いる」は過去)仏語:Iladitqu'ilétaitalorsàlagare.(〃)これらの言語では、主節が過去であり従属節がそれ以前の時点なら、大過去と呼ばれる形式を取る。実際には大過去は独立の時制ではなく、過去完了で表される[13]。従属節や関係節の内容が現在も真であると話者が判断するなら、現在形のままである。英語:Galileosaidthattheearthmoves.(ガリレオは、地球は動くと言った。-「動く」は現在)仏語:Galileoaditquelaterretourne.(〃)\n日本語日本語では非過去が「ル」、過去が「タ」で表される。この「ル」と「タ」は非過去形と過去形の語尾の代表であり、実際の語形は動詞によりほぼ規則的に導かれる。例えば語幹が有声阻害音の-b,-g,-nで終わる動詞では「タ」は有声化する(いわゆる撥音便・イ音便)ので、「飛ぶ」・「飛んだ」、「泳ぐ」・「泳いだ」、「死ぬ」・「死んだ」となる。日本語の「タ」は過去ではなく完了を表し、日本語には時制はないとする意見もある。歴史的にも日本語の「タ」はテアリ>タリ>タと変化して成立したものであり、元々は完了相を表した。しかし、近代の日本語においては概ね過去・非過去の対立で「ル」対「タ」の形が使い分けられており、その意味では時制があると見るのが妥当である\n平安時代までの日本語では、過去を表す助動詞は「き」と「けり」だった。前者は、過去にあって、それが今はなくなったという意味があり、後者は、現在の事態から過去に思いを馳せることを表す。現代の「タ」と異なり、これらは絶対的な過去を表し、相対時制としては使われない。「き」を経験、「けり」を伝聞とする解釈もあるが、当てはまらないことがある。\nアスペクト(aspect)、相言語学・文法学の用語で、述語が表す事象の完成度などの差異化をもたらす文法形式である。語交替や語形変化を伴う。「相」はもともとスラヴ語に見られる完了性と不完了性の対立を呼ぶ言葉であった。なおロシア語の場合、「相」ではなく「体」を用いて「完了体」「不完了体」とするのが慣例である。以前は古典語の文法解説においてvoiceを「相」と訳しているものが多かったが、現代ではaspectを「相」と呼んでvoiceは態と呼ぶようになっている。事象について相が表現する内容として次のようなものがある:完結してまとまっているか、それとも未完結で広がっているか瞬間的なのか、継続的か、断続的か、反覆するのか、やがて終わるのか\n結果や経験を表す完了相(perfect)と、出来事を全体としてとらえる完結相(perfective)はしばしば混同されるが、実は異なるものである。相は、多くの言語において時制と組み合わされた形態(現在進行形、現在完了形など)で存在するが、スラヴ語などでは時制と区別される独立のカテゴリーを形成している。ロジバンでも、アスペクトを表現する相制が間制(時間と空間のテンス)と法制(法)に対して独立している。ただしこれらの制用法は同じ統語論原理に基づいており、自由に組み合わせられる。\n日本語日本語では、雨が降っている・雨が降っていた(非完結相)雨が降る・雨が降った(完結相)というように、助動詞「ている」があると出来事の一部を取り出す非完結相を表し、「ている」が無いと出来事を全体としてとらえる完結相を表す。なお、「る」と「た」は時制を表す。また、「雨が降っている」は、出来事が継続していることを表しているが(進行相)、「椅子に座っている」のように、「ている」が瞬間的に変化する動詞につけられた場合、変化の結果が持続していることを表している(結果相)。さらに「雨が降り始めた」(起動相)、「雨が降り止んだ」(終結相)というように複合動詞を用いることでさまざまな相を表す。\nなお、共通語では例えば同じ「買っている」でも、「彼は今帽子を買っている」「彼は昨日この店で帽子を買っている」のように進行相・完了相の両方に用いられる。しかし西日本の方言には、前者の進行相を「買いよる」、後者の完了相を「買うとる(買うちょる)」(つまりテの有無)などと区別することがある。日本語文法では、「アスペクト」を「様態」と表すことがあるが、「様態」という述語は(特に学校文法などで)狭義に用いられることがある(「そうだ」には伝聞と様態の二つの意味がある、などと書かれる)ので、注意が必要である。\nボイス(voice)、態伝統的な文法において、動詞の形を変える文法範疇の一つで、動詞の表す行為を行為者の側から見るか、行為の対象の側から見るかに従って区別するものである。ラテン語の能動態と受動態が典型的な例である。言語学においてどのような現象を態と見なすかについては、一致した見解が無い。能動態/受動態の区別の他に態として扱われることがあるのは、自発、使役、逆行態、願望、可能、中間態、逆受動態、適用態などである。かつて古典語の文法ではvoiceを「相」と訳しているものが多かったが、現代ではvoiceの訳としては態をあて、相はアスペクトにあてるのが一般的である。\n日本語の態能動態動作の主体に視点が置かれており、動詞の語幹に「られ」や「させ」が付かない、無標で表される。受動態動作の受け手に視点が置かれており、動詞の語幹に「られ」がつく。受け手には助詞「が」が使われ、主体には「に」「によって」といった助詞がつく。日本語では動作の直接的な受け手(能動文の「を」で表される動作対象や、「に」で表される授与の相手)以外に、動作が行われることによって間接的に影響を受けるものにも視点が置かれる。これを間接受け身といい、持ち主の受け身と迷惑の受け身がある。例えば、「雨に降られた」と言えば、雨が降ることで、私が迷惑を被ったということを表している。\n使役態出来事を実現させようとする人物(使役主)に視点が置かれる表現、動詞の語幹に「させ」がつくことで表現される。使役主には「が」を使い、動作主には「に」または「を」が使われる。「を」を使う方が使役主から動作主への強制力が強い。使役受動態使役主・動作主がいる場合に、動作主に視点が置かれ、動作が使役主の強制で行われることを表す。「され・させられ」が動詞の語幹につくことによって表される。動作主には「が」、使役主には「に」が使われる。「親は子供におもちゃを買わされた」\n自発態・可能態・尊敬態また、自発態、可能態や尊敬態を認める説もある。これらは助動詞「(ら)れる」で表現できる(その他、可能動詞、尊敬動詞など)「私にはそう思われる」「彼は納豆が食べられない」というように、主体を「に」で、目的語を「が」で(受動態に似た形式)表すといった共通点がある。使役自発態、使役可能態、使役尊敬態もある。交互態複数の主語が互いに行為をしあうことを表す文を「交互態」とすることもある。交互態は補助動詞(もしくは動詞語尾)の「あう」(殴りあう、認めあうなど)で示される。\n英語の態英語の態には能動態と受動態がある。受動態は能動文の目的語を主語にしたものであり、"be動詞+過去分詞"の構文で示され、動作主は前置詞"by"で示される。授与動詞の受動態では、能動文の直接・間接目的語の一方が主語になり、もう一方はそのまま残ることになる(間接目的語は省略することも)。また日本語の使役態や持ち主の受け身に相当する表現は、補助動詞(make,let;haveなど)を用いて能動態で表される。英語にはまた、能動態の形を取ってはいるが、動作の意味上の主語を省略し、手段・道具を主語に持ってくる言い方がよく用いられる(古典ギリシア語などでは中動態により同じようなことが表現される):"Thecasserolecookedintheoven."「カセロール(なべ)を使ってオーブンで料理した」\nモダリティ(modality)、法性、様相性話している内容に対する話し手の判断や感じ方を表す言語表現のことである。例えば、「きっと雨が降るだろう」という文では、「雨が降る」ということに対する話し手の推測が「きっと~だろう」によって表されているので、この部分がモダリティであるといえる。モダリティには「きっと~だろう」のような事柄に対する対事モダリティと「おいしいね」「おもしろいよ」の「ね」や「よ」のような聞き手に対する対人モダリティとがある。対事モダリティには、「かもしれない」や「だろう」に見られるような可能性や蓋然性などに関わる認識様態のモダリティ(epistemicmodality)と、「なければならない」や「てもよい」に見られる義務や許可などに関わる義務モダリティ(deonticmodality)がある。認識様態モダリティと義務モダリティは言語によっては同じ形式で表現されることもある。例えば英語ではmust(に違いない/なければならない)やmay(かもしれない/てもよい)が両意味に用いられる。日本語「なければならない」も文脈によっては義務でなく必然性を表現する。\nまた、モダリティの表現を表す文法形式を特にムードと呼ぶことがある。動詞などの語形変化を「ムード」(mood)、ムードで表しきれない意味を担う助動詞等の体系を「モダリティ」(modality)とする場合が多い。本来は、mood(述べ方、叙法)の形容詞形modal(叙法の)を再び名詞化した語がmodality(moodのようなもの)であった。\nムード(mood)、法言語学で使われる用語で、文法カテゴリーの一つである。文が表す出来事の現実との関係(事実的realisか反事実的irrealisか)や意図、聞き手に対する態度などを表す。特に動詞の形態に反映された場合のことを言うが、モダリティ(法性)と同義で語られることもある。断定、疑義、命令、可能・必然(epistemic)、許可・義務(deontic)、願望・要求(propositionalattitude)などにかかわる。\n印欧語の「直説法」「命令法」、「接続法」(仮定法)、「希求法」、「条件法」、「禁止法」などがこれにあたる。文法用語としての英mood(述べ方)は、フランス語のmode(方式)の訛形であるが、ゲルマン語に起源を持つもう一つのmood(気分)からも意味的な影響を受けている。日本語においては「行く」(意志・命令・疑問など)「行こう」(意志・勧誘)「行け」(命令)「行くな」(否定命令=禁止)「行ったら」「行けば」(仮定・放任)「行かない」(否定)「行きたい」(希求)のような文末の形態の違いが法に関わり、命題を包むような形で法が実現されていると分析されている。